亡くなった人が夢に出てきた話
みなさんは、亡くなった人が夢に出てきたことがありますでしょうか。
それは、近しい人でしょうか。それとも縁遠い人でしょうか。
先日私の夢に亡くなった人が出てきました。
亡くなった人というのは、私の祖母です。
私の祖母は、5年前に他界しました。
祖母は、私の実家から5分ほどのところに住んでいて、
小さいころはほぼ毎日会っていました。
うちでご飯を食べることが多かったので、
母がご飯を作っている間、私の相手をしてくれるのは祖母でした。
ひらがなや数字を教えてくれたり、お手玉やおはじき、かるたをよく一緒にやってくれました。
私は末っ子だったので、特にかわいがってもらいました。
祖母も末っ子だったので、親近感があったのかもしれません。
少し祖母の生い立ちをお話しします。
祖母は若いころ、あまり幸せな人ではありませんでした。
祖母の両親は幼いころに亡くなって、まだ幼かった末っ子の祖母は一番年齢の近いお姉さんと一緒にいろんな親戚の家をたらい回しにされて育ったそうです。
その時嫁いだ夫がアル中のDVで働かない人で、とても苦労したそうです。
この人(私の祖父)は、私が生まれる前に亡くなっているので噂でしか知りませんが、
とにかくもー、ひどい人だったみたいです。
祖母には母を含めて子供が3人いました。
子どもたちが全員学校を卒業したら、当時としては珍しく離婚しました。
離婚を切り出したら、DV夫が荒れ狂って大変だったとか。
それでも何とか離婚して、母と上京して、小さい土地を買ってお店を開いて自力で生活し始めました。
土地を買ったときの借金を返し終わってからは、楽しくのんびり暮らしていました。
そして87歳で亡くなりました。
亡くなる半年ほどまえに、私は今の旦那と婚約をしました。
その時、入院している祖母に婚約指輪を持って報告に行ったのです。
指輪の箱を見せたときに、祖母は数秒止まりました。
私は、
「あっ、昔男で苦労したおばあちゃんに、こんなもの見せて自慢して、悪いことしたかも・・・」
ととっさに思いました。
少しの空白のあと、祖母は、
今まで見たことのないくらい大きな口でニカっと笑ったのです。
そして、
「良かったねえ!」
と言いました。
私の稚拙な杞憂など、まったく不必要でした。
昔自分は苦労したのに、どうして他の人の幸せをそんなに喜べるんでしょうね。
そんな祖母は、私の花嫁姿を見ることなく他界してしまいました。
小さいころあんなに面倒みてもらったのに、
高校生から20代のころ、ろくに顔も見せなかったことを後悔しました。
祖母が亡くなって5年たちました。
こんなに会っていないことは、これまでなかったから、
やはり会いたくなります。
先日、会いたいな~、と漠然と考えていたら、夢に出てきてくれたんです。
どこまでも孫想いな祖母です。
夢の中で祖母は、とっても若くてちょっと太っていて肌つやがよくて、
ニコニコ笑いながら
「とうもろこし持ってきておいたからね~!」
と言いました。
私は久しぶりに祖母に会えてうれしくて、
「わかった!今そっち行くね~!」
とウキウキ応えました。
しかし、次の瞬間祖母はもういなくなっていて、
娘に起こされたのです。
一瞬でしたけど、幸せそうな姿が見られて良かったです。
それからしばらく、私はほっこりした気分で過ごしました。
さて、死んだ人が夢に出てくるってどんな意味があるのかと
気になって調べてみました。
亡くなった人が幸せそうであれば、それは運気が快方に向かう兆しだそうです!
逆に、怒っていたり不幸そうであれば、間違った方向に向かっている暗示だそうです。
みなさんは、亡くなった人のどんな夢を見たことありますか。
その話を旦那にしたら、私が「今そっちに行くね~!」と言ったところで、
「いや、まだそっちに行かないでもらえますか」
と焦っていました(笑)
さくらさくらんぼ保育の保育園に通わせる理由
さくらさくらんぼ保育をご存知でしょうか。
故斎藤公子氏が提唱・実践していた保育方法で、この保育方法を紹介したドキュメンタリー映画が作られたりして、30年くらい前に一世を風靡した保育方法です。
一世を風靡したといっても、ドンピシャの世代の私の母は知らなかったので知らない人の方が多いのかもしれないです。
分かりやすい特徴としては、裸足で保育をしたり、泥遊びをしたり、マット運動をしたりするところでしょうか。
さくらさくらんぼ保育は結構すごいですよ。かなりいいです。
今はシュタイナーとか、モンテッソーリとか流行ってますけど、日本には斎藤公子という自然保育の祖みたいな人がいるのに、なんでみんなカタカナが好きかな~!?ともやっとしてしまいます。
(※斎藤公子はモンテッソーリの影響はかなり受けているみたいです。)
斎藤公子氏が健在のときには、海外からわざわざ斎藤公子氏の保育を受けさせに来たくらいなんですけどね。
さくらさくらんぼ保育の他の特徴としては、
・0歳からおむつは使用せず布おむつで保育
・リズム体操をする(子どもの身体と心の発達にいいとされている動きをピアノに合わせてやる体操)
・畑で作物を育てる
・給食は自分が食べられる分だけ自分で入れる
・午前も午後も外で思いっきり遊ぶ
・折り紙や縫物など、手先を使うものもやらせる
などなど、他にもたくさんあります。
私が第一子の保育園を探し始めたとき、私はさくらさくらんぼ保育を知りませんでした。
ただ、子どもを外でのびのび遊ばせてあげてくれる保育園がいいなあ、と漠然と思っていました。
いろんな保育園のHPを見て、子どもにいろいろ経験させてくれそうな保育園に見学を申し込みました。そこが、さくらさくらんぼ保育の実践園だったんです。
その保育園の見学方法は、子どもと私が一緒に半日ほど保育園で過ごし、どんな保育園なのか体感するというものでした。
何がなんだかわからないままに、保育に参加しました。
その保育園の子どもたちの自由なこと!
朝はみんな自分の好きなことで思い思いに遊んでいました。
水道で遊ぶこもいれば、泥遊びをする子もいるし、木登りをする子もいる。
「子どもが絵を描きたい」と言えば、絵を描かせてあげて・・・。
いわゆる自由保育なんですね。
もちろんバラバラに遊ぶばかりではなく、時間になるとみんなでお散歩に行ったりリズム体操をしたりしてました。
そして、さくらさくらんぼ保育の内容で何よりも私に刺さったところは、
子どもの人格の尊重の仕方
でした。
さくらさくらんぼ保育では、子どもがやりたい!と思ったことは基本的にやらせてあげるし、やってる間に邪魔してはいけないことになってます。
子どもが何かしようとしたり選んだりしているときに、親の都合で手をひっぱろうものなら、先生たちに叱られてしまいます。
子どもにとって、これはいい環境かも。と思い、私は娘をその保育園に入れることにしました。
けれどまだ不安もありました。30年前の保育方法だし時代遅れなんじゃないかとか、あんなに子どもたちを自由にしてニュースでやってるみたいな事故が起きるんじゃないかとか。
でも、通わせていくうちにそんな心配はいらないことが分かりました。
まず、時代遅れなんじゃないかという懸念ですが、さくらさくらんぼ保育は子どもが自己主張できるようになることをとても大事にしています。
それは大人に対してだけではなく、むしろ子ども同士の関わり合いで、自己主張して分かってもらったり、相手の自己主張を受け入れたりということを学んでいきます。さらに、自分の思い通りにはいかないこともたくさんあるということを学んでいきます。
これって、これからの時代ますます大事なことだと私は思いました。
自己主張だけでなく、さくらさくらんぼ保育は「生きていく力を身に着けさせる」というかなり根源的なところを目指しているので、時代遅れになるどころかこれからますます必要になってくる内容です。
また、自由に子どもを遊ばせて事故が起こるんじゃないか、ということに関しては、そこは保育士の数を多くすることでカバーしています。
通常より多い人数の保育士で保育しているし、保育士だけでなく、お手伝いに来てる園児の母親がいっぱいいて、子どもに対して大人の数がとても多いんです。
そうして、自由保育をしながら子どもたちの安全を確保しているんですね。
私一人ではとても経験させてあげられないことをたくさんさせてもらってます。
(大人の人数が多い分、さくらさくらんぼ保育の保育園はどこも資金繰りに努力してます。)
かく言う私は、4歳まで母親とほとんど家に2人っきりでした。子ども同士の関わり合いはほとんどありませんでした。
それが原因か分かりませんが、人より生きづらさを感じて生きている気がするんです。
母がいつも絶対正しかったから、自己主張なんて認めてもらったことはほとんどないわけです。大人になっても自己主張や自分の考えを伝えるというものが下手で、社会人になってからとても苦労しました。
いつでも子ども扱いで、そんなに人格を尊重されることもなかったし、母の機嫌に左右されていたので、人の顔色が気になってしまうんですよね。
さくらさくらんぼ保育を知っていくうちに、我が子には少しでも生きづらさを無くしてあげたい、そのためにこの保育を受けさせ続けたいと思ったんです。
保育園は家から遠いし、毎日の洗濯物は膨大だし、次の日の準備も毎日大変です。
それでも、子どもたちが将来少しでも生きつらさを感じずに生きていけるのなら、
今のうちに頑張ろうと思っています。
第1子と違ったポイント(授乳編)
第2子を出産して、想定外だったことの一つが授乳です。
第1子は完全母乳で育てたので、授乳は慣れていたし、出も悪くないはずだし、乳首のケアさえしていれば何も心配ないと思っていたのですが、、、
いろいろ想定通りにはいかないものです(T_T)
まず、産まれたばかりの第2子が乳首をうまく咥えられなかったです。上の子は1歳4か月ごろまで授乳していたのですが、1歳4か月児にピッタリのサイズになってしまっているというか(それは私だけかな?)、新生児には大きすぎたみたいです。
母乳の出は良かったのに、授乳前と授乳後の体重が4gしか増えていなかったりしました。
そこで、助産師さんの勧めで授乳後搾乳することに。第1子のときにも乳首を痛めて一時搾乳していたのですが、睡眠時間が削られて大変だった思い出があり・・・、かなり憂鬱でした。
しかし、睡眠時間が削られる心配は杞憂でした。第1子のときと違い母乳の出が最初からいいので、搾乳するとあっさり100mlくらい取れ、飲ませると3時間くらい寝てくれるという嬉しい誤算がありました。
退院してからもこれなら安心、と思っていたのですがまたまた想定通りにはいかない事態に!
退院したら上の子のお世話もあり、睡眠時間が第1子のときほど取れず、母乳が思ったより出なくて母乳不足に(>_<)
第1子のときは、赤ちゃんが寝ているときに一緒横になったりして、睡眠時間はそれなりに取れていたのですが、第2子の場合は寝ていても上の子の面倒を見なければなりません。
よく「赤ちゃんが寝ているときに一緒に休みましょう」と言われるけれど、第2子の場合はそんなの全然無理!
「赤ちゃんが寝ているときも上の子の面倒で寝られないんですけど、どうしたらいいですか?」とそうゆう風に言っている人に問い合わせたいくらいの気持ちになりました
第2子は幸いミルクも飲んでくれる子だったので、1日数回ミルクを足すことになりました。余裕で完母でいけると思っていたので、これは想定外でした。
2人育児で2人同時の寝かしつけの方法
下の子が5ヵ月半になりました。ようやく、2人同時の寝かしつけが上手くいくようになってきました。
うちは、上の子と私が一緒にセミダブルで寝ていて、その隣にベビーベッドが置いてあります。
これまでは、下の子を先に寝かせておいて、上の子と2人でそーーーっと寝室に入り、こそこそと布団に入り、ひっそりと寝る、、、という段取りにしていました。
が、たいていは下の子が物音で起きてしまい2人同時の寝かしつけになることが多かったです。
下の子を授乳してベッドに置いて(大抵は寝てくれない)、上の子の添い寝をし、しばらくしたら起きて上の子に添い乳をして落ち着いたらベッドに置き、上の子の添い寝をし・・・、と上の子と下の子のどちらかが寝てくれるまで続けていました。
まあ、3歳の娘が赤ちゃんを起こさないように動くなんて無理だし、始めから無理のある段取りだったんです。
そこで、私がたどり着いた方法はこんな感じです。
事前準備1
実は事前準備が一番大切みたいです。これさえやっておけば、何とかなります。
一つ目の事前準備は、夕寝のコントロールです!4か月に入ったら、夕寝を短くして5ヵ月に入ったら徐々に無くしていくといいそうです。
事前準備2
もう一つの事前準備は、ずばりスイマーバです。
夜にスイマーバで10分から20分泳がせるんです。スイマーバが無い場合は、お風呂をゆっくり入るのでも大丈夫です。
この時期は体力が付いてくるのに動く量が少ないので、疲れさせて寝付きをよくしようと思い始めました。
2人同時の寝かしつけ方
上の子をベッドに寝かせ、私はその隣にベッドヘッドに寄りかかって座ります。その体制で赤ちゃんに授乳をします。上の子は私の腕や足にくっついて甘えてながら寝ます。
事前準備のおかげで下の子も授乳をするとコテっと寝てくれます。
上の子が、赤ちゃんのいる生活に慣れてきたこともあり、「ママここで赤ちゃんにおっぱいあげてるから隣で寝てね~」と言えば(仕方なく?)そうやって寝てくれます。
ようやく2人の寝かしつけができるようになってだいぶ楽になりました。
最初のころは、上の子と下の子を別々に寝かしつける段取りばかりを考えていたのですが、だんだん2人同時の方がやりやすくなってきました。
第2子は果たして楽なのか!?2人育児の現状
先日産まれた息子は、ようやく5ヵ月になりました。
予定日より2週間ほど早く産まれた息子ですが、すくすく成長し、産まれたときには平均だった体重も生後一か月から平均より上を推移しています。
この5ヵ月は怒涛のようでした。
まず、生後2か月の時に、旦那の転勤に伴うまさかの引っ越しです。3歳児と生後2か月児を連れての引っ越し・・・。また記事にしたいと思いますが、なかなか大変でした。
引っ越してからは、上の子の保育園探しと慣らし保育、そして気管支炎になった(私が)。
順次記事にさせてもらいます。
まずは、2人育児はどうなのか、5ヵ月経過してみたざっくりした感想です。
下の子が生まれると、周りからよく「2人目は楽だ」「2人目はあまり泣かない」と言われますが、うちの子の場合はどうだったのかというと、
最初の3か月はかなり大変だった!
というのが正直な感想です。特に魔の3週間から1ヵ月はやっぱり大変でした。
放っておかれることに慣れていない上の子と、特に明確な理由が分からないのにワンワン泣きまくる下の子。
「上の子優先に」を心がけても、なかなかそうゆう訳にもいかず、上の子に「ごめんねごめんね」と謝りながら下の子の面倒をみる毎日。
困り果ててる私を見て、上の子が気を遣ってくれて、自分で着替えや寝る準備をしてくれることも。(機嫌のいいとき限定ですが)
下の子も気を遣うのか、上の子をトイレに連れてい行くときは泣き止んでくれたりしました。
そんな風にどうにかこうにか毎日すごしているうちに、下の子が4か月くらいからだいぶ落ち着いてきました。
下の子の無駄泣きがとっても少なくなったんです。
眠いときと、お腹空いたとき以外はほとんど泣きません。上の子のときよりも、泣いていても放っておかれる時間は長いので、放っておかれ慣れてしまったのかな。。。とちょっと心配になりますが、今のところ笑顔の多い情緒の安定した子です。
でも、それでも今でも大変なときは多々あります。
特に寝かしつけは難関です。
うちは旦那が夜遅いので、お風呂も寝かしつけも一人です。
上の子を寝かしつけている最中に下の子が泣いてしまったら、「誰か、助けて~!」状態。
そんなときは、下の子に授乳してとりあえずベビーベッドに置き、上の子に添い寝をし、上の子が泣き続けたらまた授乳し・・・、とどちらかが寝てくれるまで繰り返す感じです。
下の子が添い乳で上の子がママの背中に抱きついて、寝てくれることもありますが、添い乳が終わった時にどっちも寝てないことも多々あり、カオス状態を続けることになります。
どう考えても、1人で2人育児って、物理的に無理じゃない!?
何とかするしかないのは分かっていますが、親1人で2人の子供の面倒を見るのは正しい姿ではない気がします。
上の子は赤ちゃん返りこそなかったものの、私が上の子に「し~っ!」ということが多くて自分で言ってて可哀そうになりますし、下の子は上の子に比べて抱っこが少なくてふつうに可哀そう。
家で孤軍奮闘していると、「上の子一人だけだったら、もっと余裕のある生活ができたのに・・・」などという考えが頭をよぎることもあります。(下の子はもちろん可愛いですけどね)
上の子に「し~っ!」といいながら2人そそくさとお風呂に入っているときなど、まだ上の子1人だったときに、一緒に楽しく遊びながらお風呂に入っていたときのことを思い出し、私がぽろりと涙してしまうことも・・・f(^^;
けれど、上の子は「弟が生まれて嬉しい!もう1人ほしいくらい。」といつも迷いなく言ってくれるので、その言葉に励まされています。
どこかの掲示板だったと思いますが、そこでとてもいい言葉を教えてもらいました。
『 恵まれた環境ばかりが子供の成長にとっていいとは限らない』
1人1人に構ってあげられる時間は少なくなってしまったけれど、私が家事の手を離せないときに弟が泣いているとお姉ちゃんが手をつなぎに行ってくれたり、お姉ちゃんの顔を見ると弟が嬉しそうに笑ったりと、、、大人がいっぱいいある環境ばかりが子供にとっていいとは限らないですよね。
私は弱気になってきたら、この言葉を思い出すようにしています。
無事出産しました! 第1子と違ったポイント(分娩~入院編)
38週1日目に、無事第2子出産しました!
早産が心配されていましたが、何とか38週まで持ちこたえてくれました。頑張った我が子に感謝♪
経産婦は初産婦より楽に産めることが多いといいますが、第1子と本当に全然違いました。
違ったポイントをまとめてみます。
1. 分娩時間
まず、分娩時間です。私は第1子は陣痛から12時間ほどで産みましたが、第2子は5時間ほどでした。
破水してから1時間で生まれ、子宮口が全開になった時から考えると数分で生まれたので、一番痛いときが短かったのは有難かった!
2. 産後の回復
分娩時間が短いと、産後の回復も早いです。会陰の傷も小さかったので、産後3日目にはスタスタ歩けました。
第1子のときは身体はガタガタだし、会陰の傷も深かったので産後2週間は普通に座ることすらできなかったです・・・(T_T)
3.後陣痛が痛い!!(>_<)
噂には聞いていた後陣痛。経産婦は産んだ後、子宮が収縮する際に痛いんです。それが思っていた以上でした・・・。
出産した当日はあまり痛くありませんでした。なので「私は大丈夫そうだ」なんて思っていたのですが、出産翌日から、授乳の際にお腹に鈍痛が出るようになりました。
何というか、お腹の中に大きめの石があって、それがガンガンと鈍痛を発してる感じでした。
それが痛くて痛くて・・・。
座って授乳が辛かったので、添い乳でした授乳できませんでした。しかも、授乳後は痛くて1~2分身動きが取れないんです。
授乳を始めたばかりだったので、まだミルクを足してあげる必要があったのですが、動けなかったので1~2分は泣かせっぱなしにするしかないf(^^;
しかも痛いから授乳も右胸と左胸を1往復させるのが精いっぱいでした。
助産師さんに話たら、「えっ、そんなに痛いんですか!?」と鎮痛剤を出してくれました。私は結構重症な方だったみたいです・・・。
こんなのいつまで続くんだろう、と思っていましたが、激痛だったのはほぼ1日のみで、3日目にはほとんど何も感じなくなりました。
逆に、ちゃんと子宮は収縮してるんだろうかと心配になるぐらいでした。退院診察で収縮も問題ないとのことだったので一安心です。
その他は、やはり2回目なので前回の反省を生かして、乳首のケアを念入りにしたり、トコちゃんベルトを早目に巻いたりしたので、産後の不快な症状は少なくできたと思います。
後陣痛もひどいのは1日だけだったし、第1子のときよりも全体的に痛くないお産でした!
上の子がいるので、産後の回復が早いのは本当にありがたいです。
第2子妊娠中に助かったもの、工夫 まとめ
娘が2歳半のとき、第2子を妊娠しました。うちは共働きで仕事をしていて、娘は保育園に通っています。
旦那は転勤族で、今のところは住んで2年くらいです。私の実家も旦那の実家も県外で、新幹線で数時間掛かります。頼れる親戚は近くにいません。
旦那は仕事が忙しく、帰宅は娘と私が寝た後です。
第2子妊娠は、周りもやっていることだし、自分たちでも当然乗り越えられるだろうと思っていました。
ですが、第2子妊娠は想像以上に大変でした。悪阻の時期と臨月は、自分たちだけではとても乗り越えられません。
妊娠してから気づいたのですが、上の子と年齢が近くて第2子を産んでいる家庭は頼れる実家が近くにある家が多いですね。頼れる実家が近くにない家は、上の子と歳を離して産んでる気がします。
私は考えが浅かったです・・・。
でも年齢の近い兄弟が欲しくて望んだ妊娠だったので、何とか乗り切るしかありません!
共働きで近くに頼れる親戚がいない状態で、第2子妊娠中に私が頼ったもの・検討したものを備忘録的に書いておきます。
①保育園
②診断書を書いてくれる産婦人科
③宅配弁当・食材宅配
④ファミサポ
⑤家電や家事道具
⑥(遠方だけど)やっぱり実家
①保育園
うちは共働きなので娘は保育園に通っていました。悪阻の時期は、家に帰ってから娘の面倒を見るのが大変なので、保育園に相談して保育時間を延長させてもらってました。
働いていなくても診断書があれば預かってもらえるし、一時保育であれば週1回は預かってもらえます。また、自治体によりますが産前産後は働いていなくても上の子を半年くらい預けられるみたいですよ。
②診断書を書いてくれる産婦人科
私は悪阻がひどく、会社を2週間ほどお休みしました。悪阻でも仕事だけならできるのですが、帰ってから上の子の面倒も見なければならないとなると、私は無理でした。
私が勤めている会社には積立有給休暇の制度があり、診断書があれば積立有給休暇を申請できます。
積立休暇で会社を休むには、妊娠悪阻や切迫流産の診断書が必要になります。私の悪阻はそこまでではなかったのですが、「会社を休みたいので診断書がほしい」とお願いしたら、切迫流産で診断書を書いてくれました。
診断書のお陰で、積立休暇で休めたのはもちろん、会社をお休みしている最中も保育園に通わせられたし、延長保育のお願いもできました。
悪阻で子供の面倒が見られないから保育園に預けるために診断書がほしい、と言ってもたぶん書いてくれると思います。
たまに、お願いしても診断書を書いてくれない産婦人科があるそうですが、こうゆうときに妊婦に親身になってくれないような産婦人科であれば、私は転院をお勧めします。
③宅配弁当・食材宅配
私は1人目のとき悪阻がひどかったので、2人目のときも覚悟はしてました。朝ごはんは旦那も用意できるし、お昼は保育園があります。けれど、夜ご飯の用意ができなくなる可能性が高いのは予想していました。
なので、私は早目に宅配弁当を探して、悪阻がひどくなる傾向が見られたらすぐお願いしました。
私は、生協の宅配弁当を取っていました。おかずだけのお弁当で、私はご飯とお汁を準備すればいいだけです。
お汁の具は生協の冷凍野菜が主だったし、それができないときはインスタントも利用しました。
ちなみに生協の宅配弁当は高齢者向けだから、お弁当を取っていないと緊急連絡してもらえるオマケ付きです(笑)
生協の食材宅配はもともと利用してました。宅配スーパーは共働きには欠かせません。
oisixの料理キットとかも試してみたのですが、調理に結構手間が掛かるし、何より2歳の娘が食べなかったです。
悪阻の時期は宅配弁当に本当に助けられました。契約や宅配開始までに1週間くらい時間が掛かるので、なるべく早くチェックした方がいいですよ。
④ファミサポ
実際に利用はしませんでしたが、検討しました。
娘の保育園は車で送り迎えが必要な距離です。悪阻で頭がグラグラする時期に運転するのが怖かったので、保育園の送り迎えをお願いしようかと検討しました。
というのも、悪阻がひどくなり始めたとき、ガードレールにぶつけてしまったんです(>_<)。車の修理に10万円かかりました・・・。
実母が急遽来てくれたので、実際にはファミサポを利用しませんでしたが、いざというときに頼れる存在です。
⑤家電や家事道具
共働きなら、優秀な家電なくして生活が回ることはまずないですよね。食洗器・全自動乾燥洗濯機はもちろん、高機能炊飯器(TOSHIBA)・高機能電子レンジ(ヘルシオ)も大活躍です。
中でもあまり周りで使っている人がいないけれどお勧めなのが、東芝の炊飯器です。炊き上がったご飯を真空で保温してくれるので、ご飯が保温で40時間持ちます。もちろん美味しいです。
1度炊けば2日くらい持つので、平日は週に2回だけご飯を炊き、1日はパンと麺の日にしてました。いつでも暖かいご飯が食べられる状態だし、ご飯を1食ごとに冷凍する手間もなくなり、とっても助かりました。
悪阻のときに、平日麺料理を作るのもできないときは1日だけご飯の冷凍ストックを温めて出してました。週に一度しか冷凍ご飯を使わないので、1度まとめて冷凍しておけば1か月くらいはストック持ちました。
また、電子レンジ(ヘルシオ)はゆで卵が一度にたくさん作れるので、作ってストックしておくと朝ごはんとかに重宝しました。
⑥(遠方だけど)やっぱり実家
最終的には、実家はやっぱり頼りになります。実母は、あまり長く自分の家を空けるのを嫌がるのでなかなか来てもらえないのですが、悪阻の時期には1週間ごとに3回くらい来てもらいました。
保育園の送り迎えをしてもらえるだけでも本当に助かりました。
そして、妊娠後期に切迫早産で入院した際には、旦那の実家に娘を預かってもらいました。1人で預けるのはなるべく避けたかったですが、入院になってしまったので思い切って預かってもらいました。
と、私はいろんなものに頼り切ってなんとかここまで来れました。
今はいろいろ便利な道具や制度があるけど、昔の人はどうやって乗り切ってたのかな~??現代に産まれて良かった。。。