一番辛かった悪阻(つわり)のころの話
2人目の妊娠で、一番辛かった悪阻(つわり)のころのことを振り返りたいと思います。
私は会社員として働いていて、時短勤務でした。上の子は保育園に通っています。
家事/育児の旦那との役割分担としては、以下の感じでやってました。
【朝】
・朝ごはんの支度・食べさせる:旦那
・保育園の準備(洋服や日誌の準備):私
・着替え・日焼け止め・虫よけなどお出かけの準備:手が空いている方
・食器の片づけ:手の空いている方
・ゴミ出し:旦那
・保育園の送り(車):旦那
【夕】
・保育園の迎え(車):私
・夕ご飯の支度・食べさせる:私
・お風呂:私
・洗濯機回す:私
・寝かしつけ:私
・食器の片づけ:寝落ちしなければ私(寝落ちしたら旦那)
・洗濯物干し:旦那
どちらか一方がいなかったら、全く回らない状況でした。
そこに悪阻です。
最初のうちは、多少の悪阻でも大丈夫だったのです。
食べ悪阻だったから、食べていれば何とか動けたし。
それが途中で胃を壊し、食べ悪阻なのに食べられなくなってからが最悪でした。
とにかく何もできないんです。
その状態でも、1週間ほどは会社に行きました。けれど、思う通りに身体も頭も働かず、しまいには液晶酔いまで発症する始末。
私は1日のほとんどをPCの前を過ごす仕事だったので、液晶酔いしてたら仕事になりませんでした。
もちろん、家事・育児もこれまでの役割分担通りに動けるわけがありません。
そしたらもー、旦那が切れた!
両家の実家は他県で遠いし、近くに頼れる人はいません。
体調が悪いときには、迎えも旦那に頼むしかありません。
かろうじてお迎えだけは行けることが多かったですが。
旦那は17時ごろ一度退社し、上の子にご飯をあげて、お風呂に入れて、
20時ごろ再び仕事に戻るという生活でした。
私の体調が悪くお迎えにも行けないときは、保育園にお願いして長めに預かってもらい、旦那に17時半ごろお迎えに行ってもらいました。
夕飯は、生協の宅配弁当を毎日配達してもらうようにしてました。
旦那も大変だったと思います。
でも、悪阻の私も大変です。別に悪いことしてないし。
なのに、旦那は切れて、
「だからまだ2人目はいらないって言ったんだ!」
「これまでだってお前はあんまり家事・育児やってなかった!」
とか言い出してきて、もう家庭崩壊寸前。
旦那は、切れると過去のこともすべて否定にかかる最低のガキ野郎なんです。
いやー、今思い出しても腹立つ。一生言ってやろう。
だったら、お腹の中で子供育ててみろっ!
過去まで否定に掛かったところで、私もブチ切れ。
だったらいなくても困らないんだよね、と言うことで出てくことにしました。
と、そこでさすがに旦那が謝ってきて、とりあえず修羅場は終わりです。
急遽私の実母に遠路はるばる来てもらい、私は診断書をもらい会社を2週間ほど休み、
なんとか悪阻の時期をしのいだのです。
悪阻がひどくて会社を休みたいから診断書がほしい、と産婦人科に相談したら、
「切迫流産で安静が必要」という診断書を出してくれました。
こうゆうときに妊婦の味方になってくれる産婦人科は本当にありがたいです。
最悪の時期はなんとかしのいだものの、母にずっといてもらうわけにもいきません。
旦那の「まだ2人目はいらなかった」発言も心に引っかかったまま、まだ大変な時期は続きました。